an old lighthouse

よくお店とかで流れてる音楽を「ゆうせん」と言いますけど、正式な書き方は何なんでしょう。U−SEN?
そういうお店で働いたことない人はあまりご存じないと思うのですが、あれは実にたくさんのチャンネルがあるんですね。歌じゃないのもあるんですが。
先日知り合いの方が「ユウセンには『羊の数え歌』というのがあって、270匹まで聞くと男が『まだ寝れないのか。じゃあ最初からだ』と言う」とおっしゃってたのですが、残念ながらそのチャンネルに合わせても「ザー」という音しか流れませんでした。しかしそれはそれで怖い。
今バイトしている庄やは何故か「懐かしの曲」みたいのを流してるんですが、ブランキーの「冬のセーター」が流れてちょっと嬉しくなったりしました。でも僕が初めて入ったときはXの「紅」がかかってて、「何だこの店は」と思ったり。


あんまり関係ないんですが、僕はブランキーのベストは白盤(1991-1995)と黒盤(1997-2000)だったら、どちらかと言うと黒盤の方が好きです。
でも世の中の音楽の風潮には「初期の楽曲を好きな方が通」というのがある気がする。「俺は〜〜は初期の方が好きだな」みたいなね。
だけど普通に考えると音は時が進むにつれて完成されていくんじゃないでしょうか。もちろん音楽はそう上手く行く訳ではないし、歌詞の内容なんかはネタ切れになるかもしれない。
と、色々考えたけど明確な答えは出ませんでした。
ブランキーの場合は僕がリアルタイムに聴いていなかったからかもしれません。デビューした頃の楽曲を気に入り、聴き続けていくものの、ミュージシャンの進む方向とリスナーの望む方向が違っていく、ということもあり得る。
年を取って円熟していくミュージシャンもいるし、失速していっていつの間にか消えるミュージシャンもいる。あるいは、いつまでも同じ(ような)音楽を続けるミュージシャンもいれば、音楽活動をやめることを宣言するミュージシャンもいる。
ただ、「消えたミュージシャン」と「活動停止を宣言したミュージシャン」の二つは僕は共感できる気がします。
本当にごくたまに、「どうして絵の方向に進まなかったのか」ということを言われることがあるのですが、理由としては二つありまして。
一つは「好きなことだからといって、仕事としても好きなことができるとは限らない」ということ。
これは名も知らぬ人に忠告されたのですが、確かに僕が絵を描くことを仕事として選んだとして、将来的に死んでも描きたくないモチーフや死ぬほど苦手なモチーフを描かされることがあるかもしれない。それなら趣味として描いていたほうが楽ではあります。要は覚悟が足りなかったということですね。
二つ目は「自分の才能を信じられなかった」こと。
僕は裏打ちのある技術がないと思います。誰かに習ったこともないし、勉強したこともない。パソコンのはペイントブラシだし。
そして「いつか自分の才能は枯渇する」と考えてました。たぶん、いつかもう何もネタが思いつかない、という状況になるんじゃないかと。
あとは、引き出しが少ないんですね。好き勝手描く分にはいいんですが、「じゃあこういうの描いてよ」と言われると描けないんですねぇ。
この二つの理由は、もしかしたら先述した二つのタイプのミュージシャンに当てはまるんじゃないかな、と思わないでもない。


こうやって長々書いてると最終的には何言ってるかわかんなくなるんだよな。
まーいいやー。