blue blue sky

レポートやらなきゃいけないのにこれからダラダラと文を書きますよ!!


先日ドラえもんの最終話を同人誌で書いて小学館が抗議、売上金の一部を返還、という騒ぎがありました。
僕がドラえもんが好きということは知れていますので皆さんからいろいろ聞かれます。
僕個人の意見を先に言うと、今回の処分は正しい、と思います。


第一点として「未完のマンガを終わらせた」ことにあります。
もし僕自身がマンガ作家だったとして自分が生み出した作品を終わらせる事のないままこの世を去ることになってしまったとき、見知らぬ人間によって最終話と銘打った作品を出されたら、恐らく嫌だと思うでしょう。
しかも何十年と続き多くの人々に愛してもらったものならせめて自分の手で終わらせたい、と僕は思います。
もし藤子F不二雄先生のことを思うなら、未完の作品は未完で終わらせるべきだった。
例えば、見知らぬ人間が「これがhideの最後の曲」と言ってそっくりな声で歌っても誰が聞くでしょうか。どれだけ似てて曲調が同じでもそれはhideではないのです。


第二点は「あまりに似すぎている」ことです。
僕は同人誌というものに疎いのでよくわかりませんが、既存のキャラクターを使用しても訴えられないのは「ファン行動の一環」として認められているから、だと思います。
現に一切の模倣を認めないディズニーの作品(キングダムハーツとか)を同人誌として出せば100%訴えられますが、その他の作品にはほとんどそのような訴訟はありません。
それは会社側が「ファンが作品を愛してる故の行動」と大目に見ているからです。
僕は絵とは作った時点でそれは自分の作品であり、一切の責任は自身で取らなければならない、と思っています。
その作品が誰かを感動させても、誰かを傷つけてもそれは全部自分に返ってくるんです。
だからこそ、作品には自分の特徴や絵柄をきちんと表現しなければいけない、と思います。
他人の作品に技術的にすばらしい点、見習うべき点があってもそのまま使うのではなく自分の中で昇華(という表現は正しくないかもしれませんが)してその上で自分の作品に使うべきではないでしょうか。
だから、同人誌もキャラクターや基本的な設定はそのままでも同人誌の作者自身の絵で描いているなら「ファン行動の一環」なのです。
しかし、今回のドラえもんの作品ではまず絵柄が似すぎている、そして最終話を描いている、という点が問題になっています。
反感を買うことを承知した上で言いますが、ここまで絵が似ているのは「贋作」と一緒です。いくらドラえもんが好きでも、彼、すなわち作者が絵を描く人間なら、しかも公の場で作品として出すなら自分自身の絵で勝負するべきでした。
それで少しでも利益を得たならその時点でアウトだと思います。ドラえもんは、その絵は誰のものでもない、藤子F不二雄のものです。
件の作者にはその責任が取れるでしょうか。
しかも、それが原作を終わらせるもので万単位で世に出回ったのなら今回の小学館の判断は間違ったものではない、と思います。
本来同人誌とは出版社を通さない文学作品を載せたものです。それは仲間内で自身の作品を見せる、ということだったはずです。
なので今回の件はインターネットという媒体によって広範囲にその認知が広がってしまったことも要因のひとつだと思います。
小学館の言う「ファン行動の一環からはみ出している」と言うのは同人誌を認めないということではなく、技術的点で似すぎていることではないでしょうか。


以上の二点が僕が今回の件で小学館の判断が正しいと思う理由です。



とこれ以上は頭のキャパシティ越えてパーになりそうなのでやめます。
まぁ簡単に言えば「勝手に終わらせてんじゃねーよ」って話ですよ。
「出来がいい」とか言われてますが
ハッ!全巻読んでピーナッツ目で噛んで鼻からスパゲッティ食ってから出直して来い!
つーか、原子炉で動いてんだから電池が切れるわけねーだろ!クシャミして口からネジとか出ても動ける(一応「このままにしとくと僕はこわれちゃう」とは言ってましたが)ふざけたロボットが!
記憶のバックアップ?そんな高尚な機能ついてる訳ねー!『ドラえもんの「えもん」がひらがなな理由は戸籍登録のとき「えもん」をカタカナで書けなかったから』とかほざくロボットですよ!
だいたいタイムパトロールがあんなまともに仕事してんだったら今頃のび太ドラえもん終身刑だっつーの!


ここまではどうでもいい話で、本題はブログのデザイン変えましたよってことです。読みやすくなった?

Morning Paper Dirt/Mando Diao