tone down

mixiと二足の草鞋を履いてしばらくたちます(二足の草鞋って表現はちょっと間違ってる気がしますが)。
一部の方からは日記が面白いというお言葉をいただき、書いてる方としては励みになります。一重に僕の実力ですなムハハハ。
というのも、自分では「面白い文章が書けた!」と思っても、見てる人にとってはどうでもよかったり独りよがりな文章になってはいないか、と前々から不安だったんですよ。
でも、別に面白くないって思う人はそもそも読まないか。


文章を書くことには人一倍注意を払っているつもりですが、個人的にはどうにもまだ至らないところがあると感じます。
絵にも全く同じことを感じるのですが、果たして自分の文章はオリジナリティを出せているのか。
例えば自分の文章が誰かの文体から多大な影響を受けているということは否定できない。
僕自身のそもそもの文章のルーツは紛れもなく村上春樹です。
「僕」という一人称もそうだし、この何だか分かりづらい文章の書き方もそうですね。
あとよく見ているテキストサイトなども然りです。
突っ込みを入れる際にフォントを大きくして太字にしだしたのはテキストサイトの草分けだった侍魂ですし(思えばあのころのテキストサイトはほとんど残ってないんですね。ちゆ12歳ぐらいか)。
ただ僕自身がオリジナリティという言葉に過敏になりすぎているということもあるかもしれません。
大学のレポートすらコピー&ペーストで書かれてしまい、それが通ってしまう昨今、文章においてオリジナリティという言葉がどれほどの重みを持っているかはわかりませんが。


文章を書く際気をつけていることを自身の整理の意味も含めて書き出してみます。


・絵文字、顔文字、AAなどを極力使わない。
コメントなどではその限りではありませんが、これは僕の場合メールなどでも言える話です。
使って「笑」と「w」1個ぐらいでしょうか。
どうも使うと文章の重みが消えてしまうような気がして使いたくないんです。
あと、くだらない話は真面目な文体で書けば書くほど面白みが加わると思ってます。
ただ、AA、顔文字は一種の文化と言えるほどだとは思います。
記号的なものを非記号的にし、それを組み合わせ全く別の意味を生み出すというのは面白い。
しかしながら「wwwwwwwww」とかはそれを使うだけで没個性的になっているのでは、とも思う。
まぁ、意中の女性にはメールで顔文字使ったりもしましたけどね。ははは。


・誰が読んでもわかるように書く。
こんなの当たり前だろ、殊更書くことか、と自分でも思うんですが。
公共に発信している以上、内輪にだけわかるような文章を書いてもしょうがないんですよね。
例えmixiだとしても、公開しているなら少なくともマイミク全員には理解できるようにと心がけています。
自身としては、日記を書いている、と言うよりは、コラムを書いている、と言った方が近い。
あくまでも「わかる」というのはストーリーや情報がわかる、ということで文体が分かりづらいとか語句がむずかしいとかは知らないです。辞書引け。
しかし、こっちのブログは趣味やら何やら爆発してるので、すごい分かりづらい(と思う)。
そのための二足の草鞋なんですが。


あとは細かい話なんですが、間違った敬語を使わない、とか。
また略語、常用漢字は扱いが難しい。
例えば僕は「携帯」を「ケータイ」と書きます。そもそも「携帯」というのは

「身につけたり、手に持ったりして持ち運ぶこと」

であり正式名称は携帯電話なので区別する意味合いがもあったりしますが、そんなこだわりは読む人にとってははっきり言ってどうでもいいことです。
先述した「マイミク」もマイミクシィの省略ですが、そういうのをいちいち言うのも爺くさい。
「い」抜き言葉とか「ら」抜き言葉も使わないようにしているんですが、意図的に使っている場合もありますし、意図せず使ってしまう場合もあります。


別に金もらってるわけでもなし、いくら考えたところで無駄な気もしますが、書くからには読んでもらいたい訳で、では読んでもらえる文章とは何かと考えると、別に金もらってるわけでもなし、とエンドレスループ
ただ、何らかの主張をこちらで書くとき、僕はあまり内容的な推敲(誤字脱字の推敲は一応してます)をしていないので、間違ったことを書いているのではないかという危惧も抱いています。
そういう時はコメントで指摘していただきたい。
そのコメントに対して反論をしない、という保障はできませんが。


ところで、この文章は間違いなく面白くない部類に入っていると確信しています。